いつの時代も、普遍的な要素で幸せを見落としてる人が多いのかもしれない。
承認欲求を手放し、利己的に生きると幸せに近づける!かもしれないという話
こんにちはキクタです。
本日「幸せになる勇気」を読み終えました!
書いている内容なんてものは1回読んだだけで理解や、圧倒的に語れるとは思いませんが、自分にとっての発見があったので是非書きなぐっていきたいと思います☆
ちなみに「嫌われる勇気」というのが上巻、「幸せになる勇気」が下巻の様になっているので読むならセットで読むのが良いのでは!
承認欲求を捨てる
ええ!?
という内容ですねw
承認欲求なんてみんなが求めているものじゃん…。って感じですよね。
だからこそ、SNSなんてものが流行るのだろうし、タレントや有名人になりたいと思う人も多い。
親や周りの人に自分という存在を認めてもらいたいから問題行動を起こしたりと…。
我々は誰かに認められる中で生きていこうとしていると―。
しかしどうだろう、承認欲求にはキリがないというのがアドラー心理学での考え方みたいですね。
何かの行いや、結果によって他者に認められるというのは、競争であり、戦いであると。
そりゃそうだ、誰かが褒められれば、自分はと勝手に比較し劣等感や、もっとやらねば褒めてもらえないとなっていくからね。
この終わりなきレースに参加して、尚かつ勝ち続けることは非常に困難であると。
だからこそ、自分で自分を承認する必要があり、それをできれば自身の幸福感を高めることが出来ると書いてありました。
これは非常に衝撃的ですよね。
ナンバーワンでなくオンリーワンであれと。
承認欲求では幸せにはなれない。幸せとは与えられるものではなく、まさに自ら掴むものなのでしょうね。
そしてこの自ら掴む能力こそが自立であるとも言っています。
福沢諭吉も、学問のすすめで「精神的独立」と「金銭的(経済的)独立」について語っていましたが、通ずるところがあるなと思いました。
利己=利他
それともう一つ面白いなと思ったのは、利己こそ利他であるというところです。
?
という感じですが、自分のために一生懸命することが他者への価値提供につながるということです。
今のような社会では「分業」というものが我々の生存戦略の方法になっています。
というのも、我々は自然環境を生き抜く中で群れる際に「分業」をすることでより安全に、より効率的に生きれるようになってきたわけです。
つまり、基本的には誰かがやらなければならないことを誰かがやっているのです。
仕事なんかがまさにそうで、自分の目的を達成していくということは誰かの価値提供になっているのです。
誰にも価値提供ができていなければお金は発生しませんしね。
利己も利他も対人関係があってこそ生まれるものであり、対人関係は常に他者への価値提供であると。
某はいつも、人を絡めたアウトプットをすべきといっているのですが、自身のアウトプットが誰かの価値になりうると考えると、
自分を高めたい(利己)=誰かの役に立つ(利他)
となるわけですね。
主観で強く生きる
幸せになる勇気では、主観で生きる(他人の人生を生きない)事を言っていますが、それこそが何かを大きく変えるために必要な1ッ歩と言っています。
本では「共同体感覚」と表現していますが、
自分の主観で生き自立する。その先には、パートナー(結婚)との歩み方、や共同体としての生き方も書かれています。
「幸せになる勇気」では「愛」と「勇気」に帰結する内容ばかりですが、読むことで生きることが楽になったり、自身と向き合うという、相手と向き合うということなど勉強になると思います。
「変わりたい」と思う人は読んで損はないと思う内容でした。
今日の勉強!
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某の名はキクタと申す。
底辺な生活(家賃もろもろ含め月7万)を実践中。自身のコンテンツ(ネット)を駆使してこの生活から抜け出すことを目標に活動をしている。
精神的独立と金銭的独立こそが真の幸福だと思っていきています。
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